iPhoneで今年のカレンダーを見ながら、
「見て、”1年間”て、こんなに日数があったんだね。すごいね」
「よく今日までやってこれたよね」
と、弟と久しぶりにゆっくりお店でランチを食べながら話しました。
1月は生活リズムが変わりすぎてわけがわからなくて、2月は父が入院して、3月はちょっと落ち着いて来て・・と、一ヶ月ごとに振り返ってしまいました。
振り返った事がまだなかったんですね。
弟も同じことを考えていたと改めて知りました。
両親を思い出すのはいいけど、亡くなった時のことを振り返ってしまうのがイヤだと。
家にいると思い出してしまう、仕事に没頭してる方が今はいい、と。
ああ、やっぱり同じこと考えてたんだなあ。
ずっと文面にすることができずにいましたが、区切りとして記しておこうと思います。
1年前の今日、さっきまで元気に話していた母が、何の前触れもなく、寝る間際に洗面所で倒れて亡くなっていたのを見つけました。
くも膜下出血と診断されました。
どうして、同じ屋根の下にいながらすぐに気づかなかったのか?
もっと早く、私が見つけていたら?
私のせい?私が殺したのか?と
何度も何度も何度も頭の中で繰り返しましたが、周りの方々が「絶対にそんなこと思っちゃいけない」と諭して下さったおかげで、1年たってやっと落ち着いたように思います。
洗面所に入ると震えが止まらなくなることもなくなりました。
それでも、あの日の光景を思い出すと、今でも一瞬世界が止まります。
そんなんじゃなくて、笑顔の母の記憶を沢山思い出したいのにな。
時間が解決してくれるのでしょうか。
母の一周忌の今日、弟と二人で父を納骨しました。
お墓の下なんて寒そうな所、入るのいやだーと生前冗談で言っていた母のことがずっと気になっていました。
9月17日に母を納骨して、ちょうど三ヶ月後にまたお墓を開けることになるとは思いませんでしたが・・やっとまた両親が隣り合ったのを弟と見届けて、少し安堵。
母の納骨の時、入院中だった父は車いすでここにいたんだっけ。
どんな想いで、お墓を閉じるのを見ていたのかなと、あの時の光景も頭に焼き付いています・・。
その後、予約してあったお店に二人で行ってきました。
(弟とそんなことしたの、生まれて初めてかも?)
自宅から徒歩圏内にある、地元では知られている
アルピーノ村の中にあるレストラン。
実は、亡くなる少し前に「いつか一緒に行こう」と母と約束していた場所でした。
あれ以来、行くのがこわかったのですが、今日行かなきゃ行けない気がして。
ただ、目的だったお店はちょうど水曜定休だった為、弟がパスタ好きなので、同じ村の中にあるイタリアンへ。
・・おいしかった!!
平日の日中なのに店内はほぼ満席、落ち着いた雰囲気で明るく、アレルギーの有無も聞いて下さったり、とても素敵なお店でした
パンにつけるオリーブオイルの香りがとても良かったなあ・・
前菜
柚子風味の効いた、たらこと水菜のパスタ
デザートは豆乳プリン、はじっこにちょんと付いたミントの葉がかわいい!
こんなに、ゆーったりお昼を食べながら弟と会話したことあったかな!??
毎晩終電帰りの弟も、リフレッシュできたようで良かった。
両親がくれた時間です。
「もう○○しか残ってない」じゃなくて、「まだ○○がある」という言葉に替えたいと
今日は改めて思った1日でした。
さあ、明日からまた、少しずつこなしていこう。
ちなみに、父の四十九日は、なんと2015年の元旦。
来年は、お墓参りからスタートする年になりそうです。
(でも霊園の方の話だと、元旦にお墓参りする人って多いそうです。)
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