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「新元号」が発表されるのをわくわくしながら皆で待つ、という貴重な経験をさせていただいた昨日。
ふと、「平成」に変わった時はどうだったっけ・・と振り返り、色々思い出したので、記録しておくことにしました。
平成元年の春、私は中学生になりました。
ただ、”平成元年“の日本を体験することはできず。
当時、父の転勤でベルギーで暮らしていた為、バブル崩壊前後の日本も、初の消費税導入時の混乱も経験しておりません。
が、実は、昭和天皇の「大喪の礼」が行われる様子は、日本で見届けたのです。
その数日前から、父方の祖母の危篤の知らせを受け、家族で緊急帰国していたからです。
昭和天皇のご葬儀の前日、私は生まれて初めて近しい親族の葬儀を体験したのでした。
(享年67歳・・若すぎると当時思ったけれど、私の母が61歳で亡くなるとは思わなかった。)
意識がある内に帰国が間に合わなかったことを、父は最期まで悔やんでいました。
父の涙を初めて見たのも、その時。
当時残したと思われるメモ書きも見つかりました。
「昭和が二重に終わったかのように思える」と。。
祖母を亡くしたショックが大きすぎて、今思えば日本にとっての一大事だった状況も記憶が曖昧ですが、テレビで「大喪の礼」の様子が流れていた記憶だけぼんやり残っています。
その半年後、即位されたばかりの皇太子さまが、私が在席していたブラッセル日本人学校にご来校。
(皆さんご存知の通り、ベルギーと日本の皇室は親密です)
昔から背が低かった私は、その時は確か、前から背の順で二番目。
実は、全校生徒がクラスごとに背の順に並んで皇太子さまを見送った時に、一番前のクラスメイトが声をかけられたのですね。
「学校は、楽しいですか?」と・・←目の前で見ていたので、すごく覚えている!
あの時も、今と変わらない笑顔でいらっしゃった記憶が鮮明です。
そしてその時、皇太子さまご来校記念に学校の庭に植樹された桜の木が、6年前にベルギーへの渡航をかなえた時、見事に立派な大木に成長しているのを見届けたのでした。
→第二の故郷を巡る日
時間は間違いなく経過したんだ、と・・泣きそうになりました。
あの時の皇太子さまが、今年、天皇陛下になられるのだ、と。
「平成」が終わり、「令和」という元号に変わる日が来ることを、あの時は想像するはずもなく。
亡くなった友達、祖父母、両親を思い出しながら、新しい元号に変わる「今」も生きていられることを感謝せずにはいられません。
あの時とは全く違う気持ちで、大好きな人たちと一緒に迎えられることが本当に嬉しい。
どうか、これからも、穏やかな日本で生きていけますように。
追伸:これから「皇太子さま」が存在しなくなること、ついさっき知りました。
皇室の決まりごとは、複雑ですね。。。
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