途中まで書きかけて完成しないまま、早くも季節が変わってしまいましたが・・
記録として残しておきます。
以前ここでも、私の故郷が
呉であることを書きました。
「この世界の片隅に」
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まさかのドラマ化と、
西日本豪雨被害の大きかった地域として報道され、関東に住んで以来こんなこと初じゃいうくらい、「
くれ」という名前を耳にした今年の夏。
私にとって呉は、大好きな場所であると同時に、祖父母・母との立て続けのお別れ以降、どこか近寄るのがつらい、行きたいけど行きたくない場所になりつつありました。
母の実家も、今は他人が暮らしているので、二階から見えたあの景色も見ることはできない。
しかし今年、報道で見る被害状況、友人や呉に住む叔母達からの話を聞く度にもどかしい気持ちになり、少し遅めの夏休みをとって9月に帰省してきました。
決めた直後、ずっと遮断されていた広島←→呉をつなぐ呉線が一部開通したと聞き、少し安堵。
(そうでなければ、フェリーしか選択肢がないところでした)
いつもなら広島市内に泊まりますが、今回は呉で初めてホテルを予約。
できればボランティア活動にも参加できればいいが、もしできなかったとしても観光でお金を使ってこようと、ホテルも便利さ優先でフンパツして良いところを。
→これが、どうやら母に仕組まれたらしいことを後で知ることに。。
時間を効率よく使えることに味をしめ、今回も高速バスで往復することに。
ボランティアに行く方々が多いのか、バスもホテルも混んでいる模様。
1日目は、朝早くに広島駅に到着。
この日は、両親の他界以来、何度もお会いしながらもバタバタしてゆっくりお話できる機会のなかった呉に住む叔母夫婦と会ってきました。
ずっと避けていた「母の話」ができる唯一の方々と一緒に過ごしたかった。
車で広島駅まで迎えにきてもらったおかげで、呉に向かう間に町の様子を見ることができました。
まずは広島市内にある祖父母のお墓詣りへ行ってから、呉道路を使って呉へ。
だいぶ交通渋滞も緩和されてきたとは聞いていたものの、この日はやたら渋滞。
偶然にも、天候で延期されていた天皇両陛下の呉訪問と被ったことも影響していたのかな?
(途中、乗っていらっしゃると思われるヘリコプターが飛んでいきました)
あちこち、豪雨で崩れた山が見える。
国道のすぐ脇まで、崩れ落ちた木の残骸が残っている場所も沢山。
見上げれば、ブルーシートが張られた箇所がある。
広いスペースのある所には、土嚢が山積みに。
当たり前ですが、崩れた土砂は元に戻せない。
この土嚢の山は、いつどこに行くんだろうか。。。
今走っている道もこんなに早く開通できるはずなかったのに、駐車場を埋め立てて即席迂回路を作り上げたという話も事前に聞いてました。
(現在は既に元の場所に復旧)
夜遅くに通っても、ずーっと工事が続けられているのを見たと友人からも聞いていました。
この約二ヶ月で、どれだけの方々がご苦労されたのかと、想像するだけで締め付けられました。
この日の夜は、叔母が「お姉さん(母)との思い出のお店」を予約して下さっていたので、ランチは軽めにと連れて行って下さったのが、
音戸にある隠れ家的なカフェ。
天仁庵
うわー、呉にこんな素敵なカフェが、、!!
いかに私が知る「呉」の範囲が狭かったのか、、
いつも混んでるそうですが、渋滞で遅くなったのが幸いして、大きな鯉の泳ぐ池が見える窓際のテーブルへ案内して頂き。
選べるランチの中でも、肉か魚どちらかがメインの軽めなものを選んだつもりが、、豪華!
この日のお魚メニューは、
音戸ちりめんの飛龍頭。
そうだ、音戸はちりめんがおいしいんでしたね。
紅茶は、事前に数種類の葉の香りから選ばせてもらえます。
この日は「マルコポーロ」を選択。
デザートメニューも大人気らしいので、いつかまた来たい!
音戸を観光する機会があれば、オススメです。
その後、「メロンパンのパンが食べたい」(注: メロンパンについては
こちら)とリクエストした私を、そばのスーパーで売ってるよと連れて行ってくれました。
ここでシュールな
呉氏のメロンパンを購入し、叔母宅でお茶を頂いた後、呉駅前に戻り、今夜のホテルにチェックイン。
実は、叔母が予約してくれていたお店は、
偶然にもこの日私が泊まるホテルの中にあるお店だったのです。
しかもここは、
私の両親が結婚式を挙げた場所。
偶然だったのかなあ、、
呼ばれたんじゃないかな、私。
呉駅前が一望できる大きなガラス張りの店内で、目の前で焼いてくれる鉄板焼きのお店でした。
鉄板焼き 古鷹 前菜が綺麗すぎる、、お皿の威力。
冷めないよう、ペースを見ながら二回に分けて焼いてくれる和牛肉を、三種類の味で。
(私はお肉は絶対塩こしょう派。)
野菜もおいしいー!
〆は白飯か、お肉の脂で炒めたガーリックチャーハンを選べます。
それはもちろん、ガーリックでしょう。。
デザートは果物とシャーベット。
全体的に量もほどよく、結構少食だった母もおいしいおいしいと喜んで食べていたと。
亡くなる少し前に、呉の実家を他人に貸すことになり、母と叔母が二人で一週間くらいかけて実家の遺品整理をした時、無事終えた後の労い会をしたのがこのお店だったそうです。
(本当に大変だったそうで、、、今の私がこれから直面する問題だなあ・・頭痛い。)
専業主婦で、家からあまり出たがらず一人で本を読むのが大好きだった母が、実は結婚するまでは超アクティブでほとんど家にいなかったという衝撃の話を聞いたり。
私の音楽好きは父の血だと思っていたけど、バンド熱はマンドリンで活動していた母の血なのかもしれない、とか。
不思議な人だった、とか、、(それは私も知ってた)
母の話をこんなにしたの、亡くなって以来でした。
叔母夫婦を見送った後、一人で駅周辺を散歩。
夜になると始まる、呉で有名な「
赤ちょうちん通り」を通ると、どこからもカープ戦のラジオ放送が。(ちょうどこの日、優勝直前でした)
夜の呉を一人で歩いたの、これが初めてだったかも。
懐かしいような、新鮮なような、、
不思議な1日でした。
つづく。
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