前回のブログを書いた二日後、救急車で運ばれた父は、余命一ヶ月の宣告を受けました。
本日14日は、父の初の月命日でした。
あの日から一ヶ月もたってしまったのか・・という気持ちと、とてつもなく長かった一ヶ月のような気持ちと。
治療は既に不可能という診断は聞かされていた父にも、余命を告げられたことはさすがに言えず・・
それから一ヶ月と少し、そのことを隠したまま父と会話をするという、生まれて初めての本当にどうしていいかわからない時間を過ごす事になりました。
どうすればいいのか。
「今」私にできることは、何なのか。
自分自身は、一体どうしたいのか。
「一ヶ月」とは言っても、急変することは常にありうるという条件つきでした。
私はこれまでの人生で、毎日流れて行く1分1秒について、こんなにも真剣に考えた日々はありませんでした。
泣く事?違う。
その時間さえもったいない。今すべきことじゃない。
そんなのは後でいくらでもできる。
結局、私ができたことは、父の前で”普通に”接することだけでした。
不自然な行動をして、悟られるわけにもいかず。
ただ、できる限り、少しでも病院に寄って、普通の会話をしました。
そんなこと自分に出来るんだろうかと、宣告を受けた日はさすがに父の顔を見れないまま帰宅してしまいましたが、次の日からは不思議なことに、父の前では笑っていられました。
・・今、やっとその頃のことを振り返ってみて、
思い出せばいくらでも泣けるだろうなと、
でも今もまだそれがイヤで考えないようにしてるだけだな、と
この1年、本当に考えて、悩んで、感じて、忘れたくないことばかりなのですが
まだ振り返る気力はないのかもしれません。
久しぶりに会えた方々からは「思ったより元気そう」と言ってもらえたのですが、
多分、考えないようにしてるだけなのかもしれません。
ただ、今日だけは、一度思い返してみようと。
母が亡くなった時に、私にとってお姉さんのような存在の方から頂いた「花ろうそく」を、毎月の母の月命日に灯してきたのですが、先日、父のためにもわざわざ贈って頂きました。
今日、その一つ目を灯しました。
三日後には、母の分の最後の花ろうそくを灯すつもりですが、これからまた1年、父の月命日は両親と会話する日になるのかな。
こうしている間にも、同じような想いでご家族と会話している方々がいるんだろうな・・と。
本当に、沢山の感情を知る事ができた1年でした。
思い出したくないけど、絶対忘れたくないな。
今は、なんとも複雑な気持ちです。
お花を贈ってくださった皆様、本当にありがとうございました。
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