ここ数日、心がざわざわしています。
数年前、自分が経験したことをいつか必ずどこかに留めよう、留めなければと思っていました。
でも結局、その気力がないまま、3年以上が過ぎてしまいました。
気が進まなかったのもありますが、それよりも、短い経験しかしていない私が、分かったようなことを書いていいのだろうかという気持ちがありました。
私は、シティーハンターの原作が大大好きだったので、
GetWild→小室哲哉さんと記憶がつながるわけですが、だからというわけではなくて、今回の小室さんの引退会見の話を聞いて以来、うまく言葉にならない感情でもやもやしています。
「
介護」という言葉について、です。
きっと、知名度のあるご自身の言葉を機に、今の段階で関心を持つのは難しい若い世代でも、
遠い未来の話というのではなくて、今の時代の現実として少しでも意識が広がっていくことを望んだのだろうと、私もきっかけを頂いたのだと思い、何かを書き留めておこうと思いました。
まとまらないかもしれませんが、ずっと思っていたことをアウトプットしてみます。
何より、私自身が忘れないために、書いておきたいのです。
「介護生活」は、
ある日突然始まることがあります。
特に、介護というと老後のイメージがあるかもしれませんが、
病気がきっかけの場合は年齢は関係ありません。私は4年程前、父が肺がんの闘病生活に突入した矢先、母がくも膜下出血で突然他界した日から、闘病を支える生活が始まりました。
それまでのんきに自分のことだけで精一杯だった生活が、強制的に一変。
本格的な「自宅介護」を、その数ヶ月後に、本当に短い期間でしたが経験しました。
進行の早いガンの場合、査定を受けてから介護認定が出るまでの約一ヶ月間でもどんどん介護度が進んでしまい、認定が降りた頃にはもうそのレベルでは追いつかない、、という現実も経験したり。
「健康保険と介護保険は同時には利用できない」という
意味の重さを知ったり。
(例えば、入院中の転院で介護タクシーを使うと実費がかかる、病院内では健康保険を使うので介護保険の範囲では通院の付き添いをヘルパーさんにお願いできない、など)
・・と、このあたりはまたいつか、気力出せた時に書き留めたいと思いますが。
その、たった一ヶ月程度の短期間で、私は
「もうダメ、もう無理」と逃げ出しそうになりました。
自己嫌悪に陥りまくっていた自分を支えてくれたのは、担当してくださっていた訪問看護師さん。
最後に、自宅介護はもう困難だとはっきり結論を出して下さって、病院につないで下さったのもその方でした。
(病院に介護タクシーで駆け込んでも、お医者様からはまた様子見てから来るようにと帰された数日後でした)
両親を30代で亡くした私は、悔しくて悲しくて、あと20年一緒にいられたら何ができただろうと周囲の友達を羨ましく思うこともありますが、今後の親の介護は発生しないことになります。
恐らく10年後、同世代はご家族の「介護生活」に突入している方々が増えている可能性があり、その時は逆に羨まれる立場になるのかもしれない・・とも考えてしまいます。
ここを読んで下さった方に伝えたいのは、
「一人」を「独り」で介護するのは無理だということです。
愛情があれば頑張れる、というものでは絶対にない。(むしろ、身近な人ほど、お互いに感情が揺らいで難しいかもしれません・・他人の方が良いこともあるかもしれないと、自身が経験して思ったこともありました)
だから、
逃げたくなる自分を絶対に責めないでほしい。出口の見えない介護生活を長く続けるためにも、自分自身を大切にすることは最重要。
独りで抱え込んでしまっては共倒れになってしまう。
使えるサービスはきちんと使うこと。
それに対して
罪悪感をもつ必要は決してない。
他人が何を言ってこようと、経験している人にしか分からない現実がある。
(ここで最大の難関、費用の問題が出てくるのですが、、できれば備えは早いほど良い、と本当に思います・・ちなみに私は両親の他界後、自分自身の介護保険を民間会社で加入済み。足りないと思うが)
全て、
私自身も支えて下さった方々から頂いた言葉です。
もし、現時点で身近にどなたかを介護している方がいらっしゃったら、どうかその方自身を気遣って差し上げて下さい。
何もできなくても、声をかけてもらえることでどれだけ救われるか。
介護している間、どうしても「他人には分かってもらえない」と孤独になることがあります。
話を聞いてもらえることで、荷物が少しおろせることもあります。(意見するのではなくて「聴く」ということ)
自分の気持ちを共有しようとしてくれる人の存在は、本当に大きいと思うのです。
例え実際に介護を手伝うことができない場所にいても、出来ることはあるはず。
認知症の祖父を7年ほど独りで介護し続け、心労で祖父より半年前に亡くなってしまった大好きな祖母に、今もし会えたら、、私は何から話すだろう。
時間は取り戻せないので、私に出来るのは"
忘れないでいる" ことだと、今は思っています。
ここまで書きましたが、大事なことをひとつ。
私は、この経験をくれた両親に本当に感謝しています。
この年齢の内に経験させてもらえたことで、自分の人生観が変わりました。
でもこの気持ちは、”既に終わった”今だから、感じられるものなのかもしれません・・
医療保険制度も介護保険制度も、これ以上良くなるとは思えません。
介護ロボット、認知症の薬、介護型マンション、、、今の想像を超える何かが、未来に待っていてくれるでしょうか。
両親に何もできなかった私が、他の場所で出来ることは何かないのだろうか、、今も堂々巡りです。
既に私の友達の中にも、脳血管疾患で突然倒れた義理のお父様の介護生活に入った方もいます。
気にかけることしか出来ません、、はがゆい。
そんな自分の頭の中を整理するきっかけを、今回いただきました。
そして改めて、数年前にぐちゃぐちゃだった私を気にかけ、支えて下さった方々に、本当に感謝を伝えたいです。
世間で色んな議論が飛び交うのを見ていて、多分、実際に経験がある人と無い人で考え方が大きく分かれるんだろうなあ、、と感じました。
・・こうやって書き出すだけでも時間かかったのに、小室さんは本当に勇気が必要だったろうな・・。
[4回]
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